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ドラゴンボール 映画 アーカイブ

2009年10月02日

ドラゴンボールレーダー

ドラゴンボール実写映画版でも、ドラゴンボールレーダーは、はずすことはできないでしょう。
どのような、作りになっているのかも、楽しみです。
リアルに、実在してほしいと思うのは、ファンなら誰しも思うことでしょう。
ドラゴンボールの、DVDボックスでは、特典でドラゴンボールレーダーがついていたこともありました。

コミック版の方では、ドラゴンボールレーダーは、ドラゴンボールの発する特殊な電波をとらえることができる、小型探査機です。
縮尺を自由に拡大したり、縮小したりする事が出来ます。
特殊な部品を使用しているので、いつでもどこでも、すぐに作れるわけではありません。
懐中時計程度の大きさなら、細かい位置まで、的確に表示することが出来ます。
これを、作ったのは、ブルマです。

また、ブルマが作った同様の装置を、レッドリボン軍やピラフ一味も持っていました。
ですが、それはブルマのドラゴンボールレーダーよりも大型で、低精度でした。

物語の中で、ペンギン村でブルーに奪われた時は、則巻千兵衛博士の子供である、ターボくんがなんと飛行機のパーツから作り直しました。
その時は、ターボくんがどうやってその「特殊な部品」を調達したのかは未だに謎です。

また、その特殊なドラゴンボールの電波は、生命体の体内に呑み込まれてしまうとレーダーをキャッチできなくなります。
また、レーダーの縮尺を広げると、ドラゴンボールがある周辺の地形も、大方把握できるようになります。

ドラゴンボール実写映画化でも、始めはやはり、マンガと同様ブルマが持っているようです。

精神と時の部屋

実写映画では、このような精神と時の部屋のシーンはでてくるかは、まだ分からないですが、ドラゴンボールの世界では、大切なシーンです。

この、精神と時の部屋というのは、神の神殿にあるもので、修行のための部屋です。
広さは地球と同じぐらいで、真っ白な空間が、延々と広がっています。
部屋の外と比べて、時間の進む速さが極端に遅くて、この部屋の中の1年は、外の世界の1日にあたります。
この部屋で、1年過ごしたとしても、外の世界ではたったの1日しか経っていないのです。

部屋の中の空気は薄く、部屋の重力は、なんと外の10倍、気温は50度からマイナス40度に常に変化しています。
外界の情報は一切伝わらず、気さえも感じません。

悟空は少年時代に1度だけこの部屋にはいったことがあります。
ですが、初めて部屋に入ったときは、部屋の過酷な環境のために、1ヶ月もいられなかったというのです。
この部屋には、孫悟空、孫悟飯、ベジータ、トランクス、ピッコロ、孫悟天らが使用し、修行をしました。

この精神と時の部屋は、初登場時から登場する度に、幾つかの制限が追加されています。
一生のうちに48時間しか使用できずない、とか、その時間を超えた場合は、出口の扉が消えてしまって出ることができない、とか、部屋に入るのは、一度に2人まで、などです。

しかし、後のストーリーでは、この制限事項とは幾つか異なる事があります。
魔人ブウが入った時には、4人が入室していました。
また、外部の情報は一切伝わらないとしていたのに、ピッコロはテレパシーで悟天達と交信することできました。
作者、鳥山明によると、ブウ編までに、何度か改良されたためとのことです。
ドラゴンボール実写映画化では、でてくるとしたら、どのような設定で、映されるのでしょうか。

気について

ドラゴンボール実写映画版でも、戦闘シーンは見ものです。
ですが、悟空達が、戦う時につかう気は、どのようにして、体からだすのでしょうか。

気とは、体の中を流れるエネルギーの例えのことです。
これを自由に操作して、飛行したり、凝縮させたりして、放出気功波を作りだすことができるのです。

“気がゼロになる”という事は、死を意味します。
ですが、逆に致命傷を負っていたとしいぇも、気さえ残っていれば、助かる可能性があるのです。
また、気の弱っている者に対し、別の者が気を送ることもできます。
また、訓練さえすれば、相手の気の強さを感じたり、位置を感じることもできます。
数億キロ離れた相手の場所さえも分かってしまうのですから、驚きです。

さらに、気の強さをコントロールすると、気配を隠すことができたり、強さをカムフラージュすることもできます。
訓練次第では、気をゼロにまで下げることができ、完全に気を消した場合、肉眼で探すしかないのです。

戦闘に用いる場合は、気功波として放つ方法以外にも、体の一部分に込めることにより、防御力や攻撃力を上げたり、用法は様々であります。
敵として登場したキャラクターのほとんどは気を感じることができていなかったのだが、フリーザ編でのベジータや、魔人ブウ等は、パワーアップした時に、気を感じることができるようになっていました。
強さの差、イコール、気の総量の差と思われていますが、決して、そうではありません。
気というのは、高めるのと引き換えに、大幅にスピードが落ちるのです。
総合的にも弱くなったとする表現も中にはあり、力量を測るものさしにはなるが、絶対的なものではないようです。

ドラゴンボール実写映画化の戦闘シーンは、見ものだと、関係者は語っているみたいです。

鳥山明の性格

ドラゴンボール実写映画化の、原作コミック、鳥山明は、マスコミなどへの露出は、あまり好んでおらず、インタビューでの記事や本人の写真が、マスコミ関係に掲載されるケースは、ごくわずかです。
その理由は、単に小さな町なので、顔がばれてしまうのが、嫌だったかららしいです。
当該写真にも、顔にはガスマスクが合成されています。

ただ、そんな鳥山明でも、かつては『徹子の部屋』に出演していしたり、NHK特集の『わが青春のトキワ荘?現代マンガ家立志伝?』に、荒木飛呂彦と一緒に登場したりもしていたました。
『Dr.スランプ』での単行本にも、近況漫画や鳥山明自身の写真を、積極的に載せています。
最近では、テレビゲーム『BLUE DRAGON』のCMに少しだけですが、出演しています。

彼は、人付き合いがあまり得意でないと公言しており、家族と気の合う友達、信頼できる仕事仲間以外の人とは、積極的に会いたいとか、関わりたいとは思わないと語っています。
なので、田舎に住んでいる理由のもそのような理由からきています。
初めは、本名ではなく、水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとしていました。
ですが、結局本名でデビューしました。
ですが、悲しいことに、「鳥山明」という名前は、愛知県には数件しかいなくて、イタズラ電話が頻繁にかかって来たとのことです。
本人曰く、ペンネームにしとけば良かったと、若干後悔しているみたいです。

これまでに、代表作、ドラゴンボールや、Dr.スランプなど、ユーモアのある作品を書き続けてきた彼だが、実生活では、少しかけはなれているようです。
ですが、彼の描く作品は、本当に素晴らしいので、ドラゴンボール実写映画化でも、忠実に再現してほしいものです。

鳥山明のめんどくささ

ドラゴンボールの作者である、鳥山明の漫画作品は、あまりタッチをつけないで、均一な線が用いられています。
また、スクリーントーンもあまり使われていません。
それは、単に、鳥山明自身が、非常に面倒くさがりだと言うことです。
なので、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だからと、自分には合わないと言っています。
本人言うには、「スクリーントーンを切り貼りする作業は、漫画を描く作業ではないと思う」とのことです。
ただし、スクリーントーンが嫌いな訳ではないのです。むしろ使いたいと話していたこともあります。
また、鳥山明の漫画では、ネームを描かずに、下書きをいきなり始めるという、普通とはすこし違った、製作方法を取っています。
これも、鳥山明自身が、「3度も描くのが面倒」だと、担当編集者である鳥嶋に話したのです。

他に、鳥山の「面倒くさがり」を表すエピソードとして、こんなものもあります。
『Dr.スランプ』では背景を描くのが面倒で村を舞台にしたことや、「雨を描くのが苦手」ということで、漫画家の妻と結婚するまで、彼の作品では、雨を降らせなかったようです。
『ドラゴンボール』では、超サイヤ人の髪をベタ塗りせずにしたのは、時間短縮になるからです。
また、フリーザの最終形態も、簡単にすることで、作画の手間をはぶかせました。描くのに時間がかかるような、市街地などは、すぐに爆破させたり、移動させたりなどしていました。

描かれる作品には、動物が、あたりまえのように、人間の言葉を話し、人間社会にも溶け込んでいます。
そして、様々なメカニックなどが登場します。
サブキャラクターに動物や異星人が多い理由は、普通の人間だけでは、顔を描き分けるのが大変で、動物や異星人・ロボットなどを描く方が楽だからということらしいです。

作者は、かなりのめんどくさがりやですが、実写版映画に出演する人達にかんしては、丁寧に演じてほしいものです。
そもそも、ドラゴンボール実写版に出演する人たちは、鳥山明の性格なんて、知らないですよね。

鳥山明のデビュー後

1978年に、読み切り作品である『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されて、デビューを飾りました。
ですが、デビュー作のアンケート結果では、最下位であり、その後の週刊少年ジャンプ本誌や増刊号で発表された短編作品の人気もあまり良いものではありませんでした。
鳥嶋和彦に促され、1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』という作品を描きました。
その作品は、鳥山明自身が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品でした。
すると、この作品が、とても評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決定したのです。

1980年開始の初連載作品では、『Dr.スランプ』が掲載されました。
この作品は、いわゆる「博士物」であり、鳥山明は初め、天才科学者則巻千兵衛を主役にと考えていたのですが、鳥嶋和彦のアドバイスで、女の子のアンドロイド、則巻アラレを主人公設定したのです。
ですので、千兵衛は脇役に据えました。
これが良かったのでしょう。初の連載作である『Dr.スランプ』は、当初より人気作となりました。

1981年からは、『Dr.スランプ アラレちゃん』として、TVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録します。
歴代アニメの平均視聴率で見事3位と、大ヒットアニメとなりました。

『Dr.スランプ』連載の一年目では、3日に一回しか寝ることができず、最高連続徹夜6日を記録したとのことです。
ペン入れをした記憶がないという回があるなど、多忙を極めたようです。
連載は5年程度続きましたが、単行本は全部で18巻です。
これは、本人がネタが不足してしまったということで、1984年に終了させたとのことです。

そして、『Dr.スランプ』終了後すぐに、今回、実写映画化にもなった『ドラゴンボール』の連載が開始されます。
当初はアンケートでも、大きな反響は無く、人気も、ありませんでした。
ですが、徐々に地球を守る戦いを中心としたストーリーとなることで、人気を獲得していきます。
そして、1995年までの11年間、連載が続き、親子2代に渡る壮大なスケールの作品が描かれることになったのです。
ドラゴンボール実写映画化は、3部作から、成り立つ予定です。

鳥山明、幼き頃

ドラゴンボール実写映画版の作者である、鳥山明は、小さい頃から、絵を描くことが大好きな子供でした。
子供の頃に通っていた、絵画の教室で、『101匹わんちゃん大行進』の絵を描いて、表彰されました。
その出来事によって、絵を描く事に自信を持ったと、本人は語っています。
そして、小学校の写生コンクールでは、何度か賞を貰っています。
また、高校時代でも、美化キャンペーンのポスターで、なんと全国高校生の部で入賞もしているのです。

担当編集者である、鳥嶋和彦は、家は貧しかったみたいだが、両親共に、のんびり屋でマイペースな性格で、夕食を食べるお金がないからと言って、代わりに二人でワルツを踊るような人であったと語っています。
また、子供時代の鳥山明は、お腹を空かせながら漫画を描く事が、彼の唯一の楽しみであったとはなしています。

幼少時代では、漫画やアニメに熱中していた鳥山明ですが、小学校高学年以降は、映画やテレビドラマの方に興味が移り、マンガをほとんど読む機会が無くなってしまいました。
しかし、絵を描く事は好きで、また自信もあったため、進路は、愛知県立起工業高等学校デザイン科へ進みます。
そして、1974年に卒業した後には、デザイン会社に就職します。
ここでは、チラシなどを作っていたのですが、結局、サラリーマン生活に嫌気が差してしまい、2年半ほどで退職しました。

退職後は、自由気ままな生活を送っていたために、金銭的にとても困っていました。
そして、その時、たまたま手に取って見てみた、『週刊少年マガジン』で、新人賞への応募作品を募集している記事を見つけます。
その賞を取れば、賞金として50万円が手に入ることを知り、鳥山明は、賞金のために23歳で初めて本格的に漫画を描き始めたのです。
ですが、結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りに間に合わすことができず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』の方へ作品を投稿するようになりました。
この頃の作品は、『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いていたとのことです。

当時の鳥山明の作品は、新人賞レベルには及ばないものであったとのことです。
鳥嶋和彦は、鳥山明の作品の中に、色々なものを色々な角度から描くことができ、また、絵が非常に丁寧に描き込まれている事にセンスを感じていました。
「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをし続けたとのことです。
そして鳥山明は、厳しくボツを出す鳥嶋の元で、懸命に修行することになります。
なんと、この時のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだと言っています。

このような、下積みがあってこそ、鳥山明の作品、ドラゴンボールは、世界中の人から愛されるのでしょう。

ブルマ

ブルマは、コミックで、悟空が出会った最初の仲間です。
そして、ブルマは、全ての物語の引き金となった、カプセルコーポレーションの令嬢でもあります。
物語前半では、ヤムチャと交際しています。
ですが、後に破局、なんと、ベジータの妻となり、トランクスとブラという子供まで産んでいます。つまり、母親になったのです。

ブルマは、西遊記でいうならば、玄奘三蔵に相当するのですが、性格は正反対に近いでしょう。
また、名前の由来はブルマーからです。
鳥山明自身が、『DRAGON BALL 冒険スペシャル』での質問コーナーで、「女の子がはいているブルマーからきています」と答えています。

そして、2008年のハリウッドで実写映画化する「DRAGONBALL」では、ブルマ役に、エミー・ロッサム(「オペラ座の怪人」) が、決定しています。
彼女は、MySpaceの彼女自身のページで、進捗状況を報告しています。
現在は、アメリカ国外で、とっても、エキサイティングな新作の撮影をしていると、ドラゴンボールの撮影の事を語っています。
また、チョウ・ユンファという素晴らしい俳優との共演で、自分がこれまでに演じてきた役柄とは、全く違う役ができて興奮しているみたいです。
彼女は、このブルマというキャラクターを、とても気に入っていて、皆と楽しみを分かち合えるから、ずっと興奮しっぱなしだと言っています。
もちろん、映画に入る前には、とてつもなく、厳しいトレーニングをして、ファイトシーンの動き方や銃の撃ち方を習ったようです。
もちろん、マーシャルアーツもです。
彼女は普段、穏やかな平和主義者みたいなので、このような、ちょっと物騒な役柄を、とても楽しんで演じているとも、ドラゴンボール実写映画化に対しての意気込み語っています。

亀仙人の相棒?

ドラゴンボール実写映画化では、出てくるかは、わかりませんが、いつも亀仙人のそばにいる、あのカメについて、詳しく知っている人は、少ないのではないでしょうか。

人の言葉を話す亀仙人の愛亀は、松茸狩りの最中に迷い、迷子になります。
そして、1年以上も陸地をさまよい続けてしまします。そして、孫悟空とブルマに出会うことになるのです。

ブルマは亀を見捨てようとしましたが、孫悟空が海辺まで連れて行ってあげたので、無事に、亀仙人の所に帰ることができました。
そして、このお礼として、悟空は、亀仙人から筋斗雲をもらうのです。
そして、亀仙人が首にぶら下げていた、ドラゴンボールである、三星球をブルマは手に入れることができたのです。

では、なぜ、亀仙人が、海亀と一緒にいるのか、気になりますよね。
それは、筋斗雲に乗れない亀仙人の、海上での唯一の、移動手段なのです。

海亀の性格は、スケベな亀仙人とは違い、亀仙人の数々のセクハラを見たり、聞いたりする度に、注意を行い呆れ返っています。
ですが、心の底では、大変立派な武術家として、とても慕っています。
また、ピッコロ大魔王編で、亀仙人の死を聞いた時や、ドラゴンボールで生き返ったと聞いた時には、涙を流していました。

また、少年期の悟空やチチからは、「ウミガメ」なのに「ウリゴメ」と間違った呼び方で呼ばれていたことも有りました。
ちなみのその呼び方の由来は「海亀」をそのままカタカナに表記しただけのことです。

そして、なんと、アニメでは悟空の魚取りにウミガメが付き合った時、息子・タローと出会います。
息子の名前の由来は、「浦島太郎」からとられています。

ですが、ドラゴンボール実写映画化には、外せない存在ですよね。

ドラゴンボール

ドラゴンボール、そして映画に欠かすことができないもの、それが、作品名にもなっている、ドラゴンボール。
漢字で表記すると龍珠となります。
大きさは、野球ボールくらいで、オレンジ色の球です。そして、その球は7つあり、世界中に散らばっています。
中には赤い星が入っていて、神秘的な輝きを放ち、にぶく光っています。
ドラゴンボールは、特殊な電波を放っており、ドラゴンレーダーでその位置を特定することができます。
ドラゴンボールが近くに2つ以上あるときは、共鳴してより強く光ります。

ドラゴンボールを7つ集めると、神龍を呼ぶことが出来ます。
そして、神龍を呼ぶと、空が暗くなり神龍が出現し、願いをかなえてくれます。
神龍を呼び出して、願いをかなえてもらった後は、ドラゴンボールは、はるか遠くに飛んでいき、石になります。
そして、ドラゴンレーダーにも映らなくなります。
1年経つと、石になっていたドラゴンボールは元のドラゴンボールへと、戻ります。
また、生物の体内にあったり、特殊なケースに入ったりすると、ドラゴンレーダーに映らなくなります。

ドラゴンボールは、それを作ったものである神、もしくは神と一心同体であるピッコロが死んでしまうと、ドラゴンボールも消滅してしまします。
ドラゴンボールの球の強度はきわめて高く、カリン塔の頂上、あんな高い所から地面に落下させたり、どどん波の直撃を受けても割れることはありません。

アニメのオリジナル設定では、このような説があります。
まだ人間が正直だった頃のドラゴンボールは、もともとは大きな一つの球でした。
ドラゴンボールは、神が人間を祝福し、与えたものであり、人々の願いをかなえるために、神殿に飾られていたものでした。
ですが、人間たちが欲深くなってしまったために、それを神様が7つの球に分割し、そして各地に散らばらせました。
実写映画化では、どのように、集められていくのでしょうか。

ドラゴンボールが好きな有名人

鳥山明のドラゴンボールを好きなのは、皆さんだけでは、ありません。
ドラゴンボールは、テレビで活躍している、有名人達も、大絶賛しています。

スマップの香取慎吾や、ウエンツ瑛士、えなりかずき、そして、芸人である次長課長の井上聡、インパルスの板倉俊之などです。
もちろん、男性だけではありません。もちろん、女性ファンも存在しています。
タレントの中川翔子や眞鍋かをり、歌手の松浦亜弥、 など、ドラゴンボールのファンを公言する有名人はたくさんいます。
また、あの誰もが知っている、歌手の和田アキ子も、DVD、もちろん映画バージョンも、そして単行本までも、買い込むほどの、熱狂的なファンです。

俳優である山本耕史は、役作りの為に、作中のキャラを参考にしているという事です。
そして、ベジータとナッパに、なりきりモノマネを披露しているのは、お笑い芸人であるR藤本と、その相棒のぴっかり高木です。

スーパーサイヤ人に憧れて、K-1ファイターのマーク・ハントは、なんと2001年のK-1グランプリの大会では、金髪に染めてきました。
フランスで有名な歌手アリゼは、ドラゴンボールに無我夢中で、日本に訪問された際には、記者会見でドラゴンボールについて語っています。

その一方で、総合格闘家である、ジョシュ・バーネットは、残念なことに、嫌いな漫画の1つとして、ドラゴンボールをあげています。
ストーリーや設定について厳しいコメントを残しているようです。

鳥山明のドラゴンボールは、同じ漫画家からも高い評価を受けています。
あるアンケートで、漫画家が自分の作品を作る時に参考にしたいマンガと、絵がうまいと思うマンガ、第1位に輝きました。

ハリウッド作品、ドラゴンボール実写映画化を、待ち遠しくしている有名人も多々いることでしょう。

ハリウッドではない、ドラゴンボール

今回、ハリウッドで実写映画化のドラゴンボールが撮影されると、言っておきながら、はや2年以上が経ち、現在、やっと本格的話が進み始めました。
今まで、実写版北斗の拳をはじめとして、数多くの実写版映画が作品かしてきました。
そして、実写版の持つ素晴らしさや、魅力を感じている人も、多々いるでしょう。
そして、ハリウッド実写版のドラゴンボールが公開される、今よりも前に、アジアにはなんと、もう存在していたのです。

でも、よくよく考えてみれば、ドラゴンボールの設定の、もともとのイメージは中国です。
なので、実写版もアジアで作られている方が、むしろ自然かもしれません。
ドラゴンボールの本場は、アジアにあり!ということで、今回お話するのは、台湾で作成された実写版ドラゴンボール「新七龍珠」についてです。
ハリウッドで実写版のドラゴンボールと比べてみては、いかがでしょうか。

そもそもアジアといえば、全然関係のない聖闘士星矢が、あのドラゴンボールを探す、と言ったような話が存在するぐらいの自由奔放な国です。
この「新七龍珠」も怪しい要素がないとは言えません。

ですが、上空から現れる龍の姿、これは、あのシェンロンではないですか。そして輝く七つの球・・・これはまさにあのドラゴンボールです。
さらに、タイトルも 「DRAGON BALL」と実に堂々と、むしろこっちの方が、なんもためらいもなく本家だと言わんばかりのタイトルです。

さて、それでは、ドラゴンボールの主役でおなじみの孫悟空について、語ります。
見た目は、ほんのり、キムタク似の少年がやっています。
でも、近くで見ると、化粧の目バリがきつくてあまり似てないのです。
ですが、彼の見どころは、如意棒の扱いです。これは見事な腕前です。

少しでも、興味ある方、ぜひ、ハリウッド作を見る前に、一度見てみてはいかかでしょうか。

強いチチ

ドラゴンボール実写映画化に、きっと出演するであろう、チチへのイメージは、皆さん、教育ママという方が多数でしょう。
それもそのはず。結婚後のチチは、典型的な教育ママになったのです。

ですが、本格的な悪と、直接的には戦ったことはないのですが、作の中では、戦闘シーンが登場する数少ない女性キャラクターの1人であります。
第23回天下一武道会に登場した時には、観戦していた亀仙人に、「かなりの達人」と言われている。

アニメ版の設定では、父親の牛魔王の元を離れて、2年間での独自の厳しい修行を行いました。ですが、本編での直接な描写は無いのが、残念です。
ですが、その結果、親である牛魔王を超え、餃子よりも強く、亀仙人にまで、匹敵するまでの腕を上げた事になっています。

またアニメオリジナルや劇場版の中では、チチが原作やアニメの大筋では無かった悪との対戦経験があります。
また、番外編などでは、あのかめはめ波を撃てるという一面も見ることが出来ました。

上記のように、牛魔王の遺伝による影響とチチ個人の才能も加わり、本来であれば女性で地球人の常識では考えられない程のレベルを超えた、潜在能力と武術の資質を持っています。
悟空と結婚してからは、第一線から退いたので、サイヤ人戦以降は、いわゆる戦士としての直接的な戦闘描写はありませんでした。

アニメでは、主婦業の傍ら、密かにトレーニングを欠かさなかったような台詞を、チチ自身が語っています。
また、組み手では、悟天を圧倒するなど、叩き込まれた武術の健在ぶりを見せました。

ドラゴンボール実写映画化では、この変化が見られるでしょうか。

悟空とチチの夫婦仲

ドラゴンボール実写映画化では、チチは出演しますでしょうか。
出演することを祈って、孫悟空の、奥さんになったチチとの夫婦仲について、話します。

初めは、悟空にデレデレだったのですが、長男の悟飯誕生んでからは、教育ママ・恐妻へと豹変しました。
そして、それからは、悟空が唯一頭が上がらない存在になったのです。
アニメ版では、初めはすごく恐れられていたピッコロでさえも、仲間となってからは、口論で押される事が何度かあります。
ピッコロは、そんな彼女のことを、『宇宙一強い男を黙らせる、あの地球人のパワーは侮れん』と語っています。
そして、クリリンは、あの美貌で、武術もこなし、尊敬のまなざしで見ていたのだが、母親となってからの変貌ぶりには呆れるようです。

パッと見は、悟空とチチの夫婦仲が冷めているように、思われますが、全然そんなことはありません。
コミックの人造人間編にて、トランクスが悟空の命を救ってくれた事で、礼を言ったり、悟空が回復した時には、心から安堵した表情を見せたりもしていました。
そして、常に悟空を心配しています。
そして、チチは、セルゲームに向かう悟空に「絶対死なないで」と言います。
そして、悟空の死を知って泣き崩れる姿などは、愛を感じられます。

チチだけでなく、悟空も、生きてチチの元へ帰る事ができない事を詫びる遺言を、悟飯に託し、チチを気遣う姿が見られます。
そして、悟空は、あの世から、一日だけ帰ってくる事ができた時に、チチに会えた事を心から喜んでいます。

この様に、さりげない所で、お互いを思い合っている所に、二人の愛の深さが感じられます。
ドラゴンボール実写映画化では、どんな風に演じられるのでしょうか?
楽しみです。

悟空の恋人

今回の、このドラゴンボール実写映画化において、新たに、孫悟空の恋人であるチチ役に、韓国系アメリカ人女優のジェイミー・チャンが、決定しました。

ジェイミー・チャンは、サンフランシスコ出身の24才の女性です。

スポーツバーでウェイトレスをしていたときに、MTV・オーディションに声をかけられ、リアリティ番組「リアル・ワールド」への出演が決まりました。
また、アメリカでとても人気のある小説、「サムライ・ガール」(原題)の実写版にも出演が決まっています。
その出演も、なんと主人公で、ヘブン役を演じるということで、まさに、ラッキーガールです。
また、セクシー女優としても、今注目を浴びています。

コミックでの、チチは、牛魔王の娘であり、父と同じ様に、東北弁に似たなまった口調で喋ります。
ですが、父親からは、想像が付かないほど可愛いらしい容姿をしているのです。

本人自ら、「おらの心は水洗便所みたいにきれい」というだけあり、筋斗雲に乗ることもできます。
筋斗雲で孫悟空と一緒に飛行したことがきっかけで、孫悟空に恋心を抱くようになります。
そして、「嫁に貰う」約束を取り付けて、それを信じて孫悟空のことを6年間も待ち続けていたという、一途な面も持っています。

また、少女時代から成長するまでの数年間は、女性武道家として亀仙流を基本とした、厳しい修行を自ら行います。
その結果、牛魔王の娘でもあることから、天賦の才もあって、女性とは思えない程の驚異的な強さを身につけるのです。


このような、役柄を、ドラゴンボール実写映画化では、ジェイミー・チャンはどのように、演じるのか、楽しみです。

世界のドラゴンボール

もう、皆さんもご存じの通り、日本中に、かめはめ波旋風を巻き起こした、あの人気漫画家、鳥山明が描く大人気アニメ、ドラゴンボール、ドラゴンボールZ、ドラゴンボールGTが、1986年2月26日から1997年11月19日までフジテレビ系で放送されました。
そして、2002年3月にハリウッドの映画制作会社である、20世紀フォックスが、待望の実写映画化を決定したのです。

鳥山明のドラゴンボールの人気は、東アジア・東南アジアや欧米諸国などの、アジア諸国をはじめとし、モロッコやトルコなどのイスラム圏にまでの、世界40カ国にまで、知れ渡っています。
アメリカに進出した最初の頃は、暴力的とか、カルト的として、視聴数は伸びることはありませんでした。
ですが、1998年に、ケーブル局カートゥーンネットワークというところで、週5日の放送が始まりました。
その途端、どういうわけか、放送直後から、爆発的人気をとらえたのです。

そして、フランスでは、1987年9月に、アニメ版『ドラゴンボール』が放送されました。
こちらも、たちまち人気を獲得し、最高視聴率はなんと67.5%にまで達したのです。

もっと、驚くべきことは、中国や韓国などのアジア各国では、ドラゴンボールの海賊版が多数出回っているというのです。
日本で全セットDVDを購入すると、何十万円とするのですが、中国で売られているこの海賊版をネットで購入すると、3万円強で買えたという人もいたようです。
中国では、かなり市場があることでしょう。

ですが、ドラゴンボールを純粋に愛する人ならば、いくら、安いからと言って、海賊版などには手を出さないでしょう。
定価で購入すると、ドラゴンボールレーダーや、スカウターなどがついており、ファンには、たまらない、代物がついてきます。

もう、日本だけのドラゴンボールではなく、世界のドラゴンボールになっています。
今回の実写映画化は、世界中の人が、待ち遠しくて仕方がないことでしょう。

実写版、ピッコロ役

鳥山明の人気漫画である、「ドラゴンボール」の実写版映画で、敵役である、ピッコロ大魔王を演じる人は、ジェームズ・マースターズです。
そして、彼は、アメリカのTVガイド誌で、役柄についてこのように語っています。

もともと、ジェームズ・マースターズは、アニメ版である「ドラゴンボール」のファンでした。
映画に関して、詳しい内容を与えることは出来ないとしても、「自分のキャラクターは、もちろん緑色をした姿で、体毛もなく、とがった耳をしています」と原作であるピッコロと、同じ姿であることを明かしました。
また、最後には、「勇敢な行動は最後には間違っていなかったと分かるのだが、それまでの道のりは決して短いものではないんだ」と意味深な言葉で、ジェームズ・マースターズは締めくくっています。

実写版映画『ドラゴンボール』は3部作からなり立っています。
ですので、原作通りに孫悟空の息子である孫悟飯をかばって、絶命する、あの感動的なシーン、優しいピッコロの勇姿が見られるかもしれません。

ジェームズ・マースターズは、日本では残念な事に知っている人は、少ないでしょう。
なぜなら、彼は、米国のテレビドラマなどを、主に出演していたからです。
しかし、ドラゴンボールの実写版の、ピッコロ役が決まったとたんに、有名になりました。きっと、昔からのファンは驚いていることでしょう。
やはり、海外ドラマよりも、日本のアニメやドラマの方が、ずっとメジャーなんだなぁと実感させられます。
彼が、出演している作品で、「バフィー」や「Angel」などがありますが、これもやはり、日本ではあまりファンが少ないようです。
ですが、世界中には熱狂的なファンが沢山います。興味のある人は、見てみてください。

また、ジェームズ・マースターズは、ドラゴンボールについてこのようにも語っています。
ドラゴンボールは、ここ5万年の間で一番かっこいいテレビアニメです。
作品には、まるでシェークスピアのような、善と悪の判断があり、映画では、普通ではありえないような力を持ったキャラクター達による、驚くべきアクションシーンがあります。
映画は見ているだけでもとても刺激的なものになっています。というふうに、テレビアニメである「ドラゴンボール」を大絶賛していました。

ピッコロと孫悟飯の絆・・・

初めは、敵対していた、ピッコロと孫悟空の息子、この二人の絆は、コミックの中で、孫悟飯を通して、深い絆を築きあげていきます。
それと同時に、ピッコロと悟飯の絆も深まっていきます。
じょじょにこの様な展開になっていくことも、頭にいれて、ドラゴンボール実写映画化をぜひとも、見ていただきたいです。

ピッコロ大魔王ではない方のピッコロは初め、世界征服の野望を親から引き継いでいて、孫悟空たちと敵対していました。
ですが、孫悟空の兄である、ラディッツ襲来の時に、初めて手を組むのです。
これは、ラディッツが、あまりにも強く、悟空、ピッコロ、個人の手には負えなかったからです。
そして、その戦いで、孫悟空はラディッツと共に、命を落とします。
ですが、ラディッツは、死ぬ間際に、1年後に、自分よりももっと強いサイヤ人が、地球に来ると言い残します。
そして、ピッコロは、孫悟空の息子である、孫悟飯の闘いの師となります。

ですが、この時、ピッコロは自身の残りの命が、神様の寿命か、自分が一年後のサイヤ人と戦って死ぬか、どちらかだと、気付いていました。
なので、たとえ宿敵の孫悟空の息子であっても、何かを残したいという気持ちがあったのです。

ピッコロは初め、悟飯を魔族にしようと、考えていました。
ですが、悟飯の純粋さに触れていくうちに、彼の中で、徐々に世界征服の考えも薄れていったのです。
そして、悟飯のことを、自分に対して、唯一まともに付き合ってくれた存在だと、心を開くようになります。
そして、悟飯自身も、ピッコロの中にある優しさに気づき、慕うようになります。

悟飯は、自ら、あまり戦おうとはしない子です。そして、その気持ちを、親である孫悟空よりも、より理解していたのは、ピッコロでした。
そして、セル戦では、敵わないと分かっていても、悟飯を助けるために挑もうとする姿などには、強い父性愛を感じました。以前のピッコロでは、考えられません。

悟飯が青年になってからも、ピッコロは、天下一武道会で、悟飯の素性がバレないように、観客や中継のカメラを壊して、気遣いを見せています。
ピッコロが、悟飯に対して思う気持ちと同様に、悟飯の方も、ピッコロに対して同じ気持ちを持っています。
大勢の観客の前でスーパーサイヤ人になるように言われたときに、悟飯は拒否しますが、ピッコロが呼びかけると、変身を決意するなど、時が経っても、二人の信頼関係は変わっていません。

アニメやゲームの場面では、ピッコロが悟飯の成長を、誇りに思う場面や台詞が見られます。
そして、悟飯もピッコロに対し、鍛えてくれた事を感謝している場面があります。

また、悟飯の父親である孫悟空も、悟飯をスーパーサイヤ人化させるときには、「オラやピッコロが殺されそうな所を想像してみろ」と、自分だけではなく、ピッコロの名前をだしています。
それに、悟飯がブウ戦で死んだと思われた時に、悟空は、ピッコロに「あいつが死んで1番残念なのは、おめえと会えねえ事だと思うぜ」などと答えています。
ピッコロは、何かと悟飯の危機に駆けつける事が多いです。

孫悟空に代わって、孫悟飯を鍛え上げたピッコロは師父同然の存在であり、悟空もそれを認めています。
作者、鳥山明も「悟飯にとって、ピッコロという父親代わりの役割を果たしてくれる存在がいてくれたのは、本当に良かった」とコメントしています。
ドラゴンボール実写映画化、待ち遠しくなってきましたね。

ピッコロについて

ドラゴンボール実写映画化でも、もちろんでてきます。
コミックでのピッコロには、同じ名前のキャラクターが、親と子で2人登場しています。
二人とも、正確には「ピッコロ大魔王」と名乗っているのだが、『大魔王』とついて、呼ぶ方が、親に対して用いられることがほとんどです。
そして、生まれ変わりである、その子供の方を単に「ピッコロ」と呼ぶことが多いのです。

ピッコロという名は、彼の故郷である、ナメック星の言葉で、「違う世界」という意味なのです。

ピッコロ大魔王とは、簡単に説明すると、ナメック星人の魔族です。
昔、ナメック星の龍族の1人が、地球に降り立ち、そして神様になるために体から排除した「僅かな悪」が成長した姿のことです。
口から卵を吐き出し、新たな魔族を作り出すことができます。

分離した後、成長していく悪は、本体が神様になると同時に、全く正反対の魔族となっていきました。
この悪が、ピッコロ大魔王と名乗り、神様のもとを脱走します。
そして、ピッコロ大魔王は世界征服を企むようになるのです。
ぴっころ大魔王は、どんな武道家でも手に負えないほどの、絶対的な力をもっています。しかい、地球の神様には劣ります。
そして、ピッコロ大魔王は、世界にその自分の力を見せつけ、人間達を恐怖の底に陥れるのです。
そこで、魔封波という術を開発した武道家「武泰斗」が、自分の命と引き換えに、電子ジャーにピッコロ大魔王を封印したのです。

その後、封印された電子ジャーは、武泰斗の弟子である、あの亀仙人によって、奥深くの海底へと沈められたのです。
しかし約300年後に、その存在を聞きつけた、ピラフ一味がピッコロ大魔王の封印を解き、この世に甦えらせてしまったのです。

ピッコロ大魔王は、自分の生み出した部下と、テレパシーで会話をすることができます。
また、部下が死んだときには、とても苦しんでいるような姿が見られます。

復活したピッコロ大魔王は、自分を再び封印する者を恐れ、次々と武道家を殺害していきます。
それと同時に、老いた自分を若返らせてくれる、絶対的なパワーを取り戻すため、ドラゴンボールを集めだします。
ピッコロ大魔王の強さは、老いた状態でもかかわらず、孫悟空を瀕死の状態にまで追いやるほどの強さをもっていました。
ピッコロ大魔王は、標的を殺した後には必ず、丸の中に『魔』と書かれた紙を残していきます。

そして、ドラゴンボールによって若返りしたピッコロ大魔王は、再びこのドラゴンボールを利用して、自分を消滅させるという願いを叶えさせることがないように、神龍を殺害してしまいます。
ですが、最期は孫悟空に負け、自分自身の全てを記憶させた卵を生み落とした後に、爆死します。
死に際には、「悪を絶やすな」と、まだ生まれていないマジュニアに言い残します。
皮肉にも、そのマジュニアはピッコロ大魔王の思いとは裏腹に、世界征服という野望を捨て、孫悟空達と、地球を守る戦士となってしまうのです。

ベジータ同様、ピッコロも、初めはとんでもない悪だったのが、ストーリーを重ねるごとに、いい仲間になっていくところが、面白いです。
実写版の映画では、どこまで、再現してくれるのでしょうか。楽しみです。

世界のかめはめ波

今、鳥山明のドラゴンボールはもはや、世界にも、知れ渡っています。
中でも、海外の人たちの中で、かめはめ波は、群を抜いて、小さな子供から、大人まで知れ渡っていることでしょう。
日本の皆さん同様、ポーズなんかもとったりしている人も、少なくはありません。

海外版でも、かめはめ波のことを、「KAMEHAMEHA」と訳されています。
そして、2004年、テレビ朝日が放送した番組で、全世界の子供達に、「かめはめ波という言葉とポーズを知っている?」と聞いたところ、ほとんどの子どもたちがポーズをとってみせたのです。
「かめはめ波」はもはや、全世界での共通語となっていることが分かったのです。

ですが、残念な事に、2007年に、同じテレビ朝日が放送した番組で、かめはめ波がなんと世界共通語ではないことが証明されたのです。
中国語版(中国大陸・香港・台湾・の3つのバージョン)では「かめはめ波」のことを、「亀波気功」と訳されています。
漫画版では、文字数が違うことから、コマの中の文字の配列が苦労したようです。
そして、韓国では、「エネルギー波」となっているので、「かめはめ波」と文字数が合っています。

また、海外で絶大なる人気を受けて、TSBバンク・アリーナで開催されている、SFとコミックの祭典「アルマゲドン・パルプ・カルチャー・エキスポ」では、毎年「かめはめ波コンテスト」が開催されています。
もちろん、リアルの世界では、かめはめ波は出すことはできないので、参加者はリアルにかめはめ波を出しているかのようなパフォーマンスをします。
それを競う大会が、この「かめはめ波コンテスト」です。このコンテストは2001年から開催されていて、すでに7年もの歴史があります。
なので、今回の実写映画化を見て、参考にする人もいるでしょう。

少し話がずれますが、『ストリートファイター』のリュウ・ケンらの技でもある、「波動拳」は、このかめはめ波が、元ネタとなっています。
また『空想科学読本』で、本当にかめはめ波を撃つ事はできるのかという研究がされたことがあります。

ドラゴンボール実写映画化のかめはめ波は、実にリアルに描いてほしです。

かめはめ波

みんな、ドラゴンボールといえばで、一度はポーズをとったことがあるであろう、かめはめ波について、書きたいと思います。
実写映画化の戦闘シーンでも、ポーズをとっているでしょう。

コミックでの、かめはめ波の初披露は、亀仙人が、フライパン山の火を消すときに、最大出力のかめはめ波を放ち、なんと山ごと吹き飛ばしたのです。
亀仙人によると、この技があみだすのに、50年は修行しないといけないと言っていたのだが、孫悟空はすぐにこのかめはめ波を習得したのです。
その後、孫悟飯、孫悟天そして、クリリンもこのかめはめ波の使い手となりました。
その為、気の才能さえあれば、かめはめ波を習得することは、それ程難しくない技だと思われます。

かめはめ波の出し方は、両手の手首を合わせ、そして手を開き、体内からのエネルギーを凝縮させて、両手に集中させ、エネルギー波として手から一気に体外に放出させます。
ただ、両手を使わなくても、片手だけ、または手の代わりに足からでも、かめはめ波を撃つことができます。
これは、孫悟空が、第23回天下一武道会で、足からかめはめ波を放ったときには、技を編み出した張本人、亀仙人もとても驚いていました。

しかし、もっと熟練すると、発射したエネルギー波を自分の意思で曲げることもできるようになります。
込める対内からのエネルギーの度合いにより、威力について、段階的に大きさをかえることもできるのです。
10倍かめはめ波、超かめはめ波、MAXパワーかめはめ波のように、かめはめ波は、応用技、変形技が多いのも特徴のひとつであります。

また、とある一説では、かめはめ波とは「亀」を「はめ」るという意味があるとも言われており、実際にその形も亀頭とよく似ています。

ドラゴンボール実写の映画では、どのようにかめはめ波を表現するのでしょうか。
ファンとしては、迫力のあるものにしてほしいです。

永遠のライバル、ベジータ

今回、ドラゴンボール、実写映画化の第2の主役とでも言っていいでしょう。
ベジータとは、孫悟空とともに、サイヤ人の数少ない生き残りの一人です。
惑星ベジータの王子であり、サイヤ人王子としてのエリート意識がとても強く、プライドの塊のようは性格です。

ドラゴンボールの存在を知ったベジータが、シェンロンに叶えてもらいたかった願いは、「永遠の若さと命」でした。

初めは、孫悟空のことを下級戦士で、「落ちこぼれのクズ野郎」と見下していたのですが、自分が悟空より劣っていることをうすうす気づき、魔人ブウとの戦いでは孫悟空をナンバーワンと認めています。

ベジータは自分の力に絶対的な自信を持っていて、最下級戦士の生まれでありながら自分よりも強くなった孫悟空を認められず、とても激しいライバル意識を燃やしています。
そして、ピッコロやクリリンなどもいる中で、強い敵と、最後まで孫悟空の実力に付いていくことができた、唯一の存在なのです。
口は悪いが、相当な努力家でもあります。

そして、ベジータは、ブルマ と一緒になり、子供も生まれます。
しかし身勝手な行動が多いことと、自身の戦うことが好きな性格なので、身勝手な行動をとることは多々あるが、孫悟空やピッコロが「天才」と認めるほどの強さを持っていたのだ。

ブウ編になると、素直に行動で表すことは少ないが、家族への愛情を徐々に示すようになり、家族を守るために自分の身を犠牲にするなど、人間らしい一面も見られるようになりました。
また、孫悟空やピッコロたちに対する仲間意識も徐々に芽生えていったのです。
息子のトランクスとは、厳しい修行をともにし、孫悟空の息子、悟天に負けないように育てました。
その一方、娘のブラちゃんには頭が上がらないようです。

コミックでは、孫悟空のことを常に「カカロット」と呼んでいたのだが、一度だけ「悟空」と呼んだことがあります。

原作者である鳥山明は、ベジータのことを「あまり好きではないが、随分と世話になったキャラクター」と語っています。

始めは、冷酷な悪役というイメージが強かったのだが、徐々に仲間となり、ベジータの変わっていく姿が、作品の中でも見所の一つでしょう。
ドラゴンボール実写映画化でも、このベジータ、どのように演じるのか見物であります。

亀仙人って、こんな人

映画にもでてくるであろう、亀仙人は、別名、武天老師(むてんろうし)とも言います。トレードマークは、はげた頭にサングラス、そして、背中には大きな甲羅を背負っています。
私服にはアロハシャツを着ることも多々あるようです。
年齢はなんと、初登場時では319歳〜原作、ドラゴンボールZ終了時は354歳です。

いつもは孤島のカメハウスで人の言葉を理解する事ができるウミガメと、クリリン一家と一緒に暮らしています。
一時期は、ランチさんも一緒に住んでいました。

亀仙人には、お姉さんがいます。
その姉は、あの世とこの世を自由に出入りすることが出来る占い師・占いババです。
亀仙人との年は、200歳近く離れています。

亀仙人は、初め、「不死鳥の生き血を飲んでいるので、不老不死」とされていたのだが、後にそれは嘘だと判明しました。

そして亀仙人は、孫悟空に、「筋斗雲」を与えた人物でもあるのです。
ですが、筋斗雲はもともとはカリン様からいただいたものだと判明しており、カリン側の言い分では、亀仙人がどうしても欲しいというので筋斗雲を与えたとしています。
悟空に筋斗雲を授けたのは、亀仙人本人が乗れなくなったからと考えたほうが自然でしょう。
筋斗雲は、心の清らかなものしか乗ることができないので、亀仙人のような、スケベな心を持ってしまったら、当然乗ることはできません。

また、悟空の持っている如意棒も、もとは亀仙人がカリン様からいただき、それを悟空の育ての親であった孫悟飯に与えたのです。

こんな亀仙人は、武道家としては、武術の神、イコール「武天老師」と言われるほどのすごい人物なのです。
何といっても、あの大技「かめはめ波」を、50年もかけて編み出した方なのです。

ドラゴンボール実写映画化では、亀仙人は、誰が演じるのでしょうか。
発表が待ち遠しいです。

シェンロンって?

ドラゴンボールの映画に欠かすことはできない存在、シェンロンについて、書いてみました。
シェンロンとは、世界中に散らばったドラゴンボールを7つ集めると現れるドラゴンのことです。
ですが、もともとは、ナメック星だけのものだったのだが、その後に、地球の神様となるナメック星人が地球に来て、地球でドラゴンボールを作ったのです。
ですが、ナメック星人の誰もが、シェンロンを作れる訳ではありません。
ナメック星人の中でも限られた龍族の、天才児だけが作ることが出来るのです。
そして、そのシェンロンは、どんな願いでも叶えてくれます。

姿、形は、アジアなどの伝承に出てくるような、胴が細長いタイプのドラゴンで体の色は緑色です。
基本的には、どんな願いも1つだけ叶えてくれるのですが、創造した主である神の力を超えるような願いは叶えられません。
死んだ人を生き返らせる時は、一度に大勢のものを生き返らせることが出来るのだが、同じ願いを2度、叶えることはできないのです。
過去にシェンロンによって生き返ったことがある者を、再度生き返らせることは出来ません。

コミックでは、シェンロンは1度、ピッコロ大魔王に消滅させられています。
シェンロンと神は一心同体、神様が死ぬとシェンロンも死ぬのです。
ですが、新しく地球の神となったデンデに、シェンロンは命を吹き込まれ、生まれ変わるのです。

死んだ人を生き返らせる場合は2つ願いを叶える事が出来、それ以外の内容なら、3つの願いを叶えることができるのです。
願いを叶えた後、シェンロンは姿を消し、あのドラゴンボールは石ころとなって、世界中に散らばり、1年間は願いを叶えることができないのです。

実写映画化では、シェンロンはどのように、実在するのでしょうか。

孫悟空

ドラゴンボール実写映画化の、コミックを書いた作者、鳥山明は、初め、オリジナル「西遊記」を目指して、ストーリーを展開していたので、初期稿の段階では、主人公の孫悟空は、なんと猿の姿をしていました。
しかし、第二稿、第三稿(現代の『ドラゴンボール』に大分と近い設定)に変更が加えられました。
そして、最終的には「西遊記」の要素は、名前としっぽのいくつかのエピソードだけに、なったのです。
また、タイトルの「ドラゴンボール」とは、「燃えよドラゴン」から取られているのです。

孫悟空の身長175cmで体重62kgです。
犬並みに嗅覚がいいので、御飯のにおいをいち早く嗅ぎつけます。
性格は、朗らかで優しく、誰からも愛される性格です。
心が清らかで、実際に乗れる人は少ないというあの「筋斗雲」に、いとも簡単に乗る事が出来ます。
常に自然体から、戦闘や緊急時には素早い正確な対応を取ることができます。
素直で真面目過ぎる性格の為に、簡単な騙まし討ちに引っかかることも多々あり、戦うことができなくなった敵にはトドメをさすことはなく、その場からすぐに立ち去るように言うのです。
こんなことで、「お前の甘さには反吐が出る」とベジータからは、呆れられています。
だが、亀仙人の教えを悟空は忠実に守り、体ひとつだけで世界を回り、そして弱点を克服するなど、その悟空のひたむきな姿勢により強さを培った事も確かです。

孫悟空は幼少時に地球に侵略目的で送り込まれました。
そして、孫悟飯に拾われたのですが、初めは大暴れし、御飯も手に負えなかったのです。
だがある日、谷から落ちて頭を打ち、記憶の一部分を失い大人しくなりました。その傷跡は、その後の大人になっても頭に残っています。
サイヤ人は、しっぽが生えている時に月を見上げると巨大な猿に変化するといった特徴があります。
悟飯から、満月の夜は、外に出てはいけないと言われていたのに、悟空は満月を見てしまい、巨大な猿に変身してしまいます。
そして、ずっと育ててくれた悟飯を、なんと踏み殺してしまうのです。
それ以降、悟飯の形見である、四星球のドラゴンボールを、悟空はじいちゃんと呼び、山奥で一人で暮らし始めるのです。

そして、時は流れ、たくましく成長した孫悟空は、自分が惑星ベジータ出身の、戦闘民族サイヤ人であることを兄であるラディッツにより、聞かされます。
そして、サイヤ人の王子ベジータとすさまじい死闘を繰り広げ、ベジータとは、永遠のライバルとなります。
そして、サイヤ人をも支配する、強敵、宇宙の帝王フリーザとナメック星で戦い、ベジータが憧れていた、伝説の超サイヤ人に目覚めます。

コミックでの孫悟空を、実写映画化ではどのように、再現するのか、楽しみです。

鳥山明ってどんな人?

鳥山明の、ドラゴンボールを愛してもらうために、作者である、鳥山明を紹介したいと思います。
ファンの方たちは、この方を神と呼ぶでしょう。

1955年4月5日、鳥山 明はキャラクターデザイナー、日本の漫画家、株式会社バードスタジオ代表取締役となります。
愛知県西春日井郡清洲町、出身そして、在住します。
1974年に、愛知県立起工業高等学校デザイン科を卒業しました。
彼の血液型はA型です。几帳面なのでしょう。
妻はロック系コメディを専門とする、漫画家のみかみなちです。彼女は、結婚してからは、活動をあまりしていません。

漫画家デビューは、1978年に、『ワンダー・アイランド』を『週刊少年ジャンプ』で読み切りとして掲載されます。

そして、鳥山明は、『Dr.スランプ』で見事、第27回小学館漫画賞受賞を獲得します。
彼の代表作にとしては、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などが挙げられることが多いです。
こちら2点は、とても日本や海外でも人気があります。

描かれている作品には、動物が人間の言葉を普通に話し、人間社会に何の違和感もなく溶け込んでいたり、多種多様なメカニックなどが登場します。
彼の作品のサブキャラクターに、異星人や動物が多いのは、普通の人間だけでは、何パターンもの顔を描き分けるのが大変なので、動物や異星人、ロボットを取り入れることにより、描くのが楽だからというのです。
また、メカニックは『スター・ウォーズ』など、多数、見て来たSF映画からの影響を受け、ストーリーの本筋以上にメカを描いている方が楽しいというのです。

西村繁男(元『週刊少年ジャンプ』編集長)は、鳥山明のことを、「ジャンプ黄金時代」の立役者の一人だと、彼のことを絶賛しています。

連載が始まり、『Dr.スランプ』の一年目には、3日に一度しか寝ることができず、最高、徹夜を連続6日し、ペン入れをした記憶がない回があるほどの、忙しさでした。
そして、『ドラゴンボール』では、徹夜をすることは無くなりましたが、その超人的な人気から、なかなか連載を終了にすることができずにいたので、気力、体力ともに疲労困憊の状態に追い込まれていきました。

そして現在は、新作は、読み切りか単行本一冊程で完結するような短編を中心にし、自身と妻だけでこなせる仕事量にしたいと語っています。
そして彼は、あの『ドラゴンクエスト』シリーズをはじめとする、ゲームソフトのキャラクター、言わば(モンスター)のデザインもてがけています。

そして彼は、様々な漫画家にも刺激を与え、少年ジャンプの読者コーナーでは、未だに『ドラゴンボール』ネタが採用されています。
そんな彼の作品が、ついに実写映画化されることになりました。とても、楽しみにしているファンは多いことでしょう。
アニメの映画バージョンも、捨てがたいです。

気になる孫悟空は?

ドラゴンボールが実写映画化となり、皆さんの、やはり一番気になるのは、孫悟空役は誰がするのか、というところですよね。

なんと、「宇宙戦争」でトムクルーズの子供役をしていた、ジャスティン・チャットウィンが演じることが決定しました。
と言っても、宇宙戦争見てないと、分かんないですよね、いや、分からない人の方が、多いはずです。
ドラゴンボールを愛する皆様には、孫悟空役のジャスティン・チャットウィンことをぜひとも知っていただきたいです。
なぜなら、彼は今注目すべき実力派俳優なのです。

1982年10月31日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州ナナイモで、エンジニアの父と、アーティストでドキュメンタリー映画作家の母の間に生まれました。
年齢の割に、幼い容姿とクールな姿勢から悩み多き高校生役を演じる事が多かったようです。
「子供の頃から役者になりたい」とは考えてはいなかったのですが、ブリティッシュコロンビア大学在学中に、友人の誘いでたまたま受けたオーディションがきっかけで、演技に興味を持つようになりました。
そして、俳優と大学との両立が難しくなり、両親のアドバイスと共に、大学を休学します。
アルバイト代をすべて、演劇学校での勉強につぎ込み、演技と映画制作を勉強します。
その甲斐あって、2004年のテレビミニシリーズ『トラフィック/新たなる連鎖』での演技が評価され、2005年に公開された、大作『宇宙戦争』でトム・クルーズの息子ロビー役を見事に演じ、注目をあびます。
2007年全米で公開された『臨死』では、幽体離脱した自分自身の体を捜す主役ニックを見事に演じました。

そして、今回、主役に抜擢されたチャットウィンは、孫悟空の役作りのため、「300/スリーハンドレッド」「Mr.&Mrs.スミス」「マトリックス」といった、とても有名なアクション大作の“87イレブン”という、スタントチームで、すでにトレーニングを始めているというのです。
そこには、彼の役への意気込みが感じられます。

ドラゴンボールの映画内容

世界中から、愛されている、鳥山明の「ドラゴンボール」が実写映画化になります。
「あのドラゴンボールが実写映画化?!」と、驚かれる方は、大勢いるでしょう。

そして、気になる内容が、こちらです。

皆様ご存知の孫悟空は、地球人を絶滅させるために地球に送り込まれたサイヤ人です。
このサイヤ人とは、惑星ベジータに住む、宇宙最強の戦闘民族であります。
そして、本来の目的を忘れてしまった、悟空を拾い育てた心優しい祖父、名は悟飯といいます。
外見は、70代の老人だが、熟練した武道家で、悟空に武術を教えます。
悟空をとても愛しており、悟空の18歳の誕生日にたらふくのご馳走と、特別な贈り物、7つ集めれば、どんな願いでも叶えることができる球、ドラゴンボールを準備していました。
だが、ピッコロの手下の忍者に襲われてしまいます。
ここが、原作とは、ちょっと異なりますよね。
そして、2000年の眠りから目覚めたピッコロ大魔王により、人々の平穏な生活は崩されようとしていました。
時は流れ、悟空は、武天老師を探し、ピッコロの野望を食い止めるために、七つのドラゴンボールを求める旅に出ます。
その旅には、ドラゴンボールの力を研究し世界を変えたいと思っているブルマ、この娘は、自分で発明した、ドラゴンボールレーダーを持っています。
そして、女性に困った事のないプレイボーイのヤムチャ、のちに、ブルマといい感じになります。
そして、忘れてはならぬ、世界一の武道家、武天老師と共にドラゴンボールを探す旅に出ます。
そして、2000年前に地球を1度、破滅寸前まで追いやった魔族、ピッコロを、悟空達は、見事ドラゴンボールを7個集め、地球を守ることはできるのでしょうか?
と、このようなストーリーとなっています。

原作のコミックとは多少、アレンジが加わっているみたいだ。

あのドラゴンボールがついに映画化?

日本で知らない人はいないであろう、あの鳥山明の人気コミック、「ドラゴンボール」が、20世紀フォックスが製作、ハリウッドで実写映画化されることが決定しました。

「ファイナル・デスティネーション」「ザ・ワン」でおなじみの、ジェームズ・ウォンが監督、製作には、「少林サッカー」「カンフーハッスル」でおなじみの、チャウ・シンチーが手がけます。

そして、注目の孫悟空を演じるのは、映画『宇宙戦争』でトム・クルーズの子どもを演じたジャスティン・チャットウィンです。
だが、たくさんの映画人にも愛され続けている鳥山明の「ドラゴンボール」、これまで日本人を始め、たくさんの俳優が孫悟空役を欲していたが、ついにその配役が決定しました。
ショックを受けている俳優も少なくはないでしょう。
そして、ピッコロ役には、テレビドラマ『バフィー 恋する十字架』『エンジェル』などに出演していた、あのジェームズ・マースターズです。

原作コミック、「ドラゴンボール」は、日本だけでなく、世界中で2億冊以上のセールスを記録しています。
500話以上にもなる、TVシリーズのストーリーは、ヨーロッパ、アジア、アメリカでいずれも超人的な視聴率を上げており、まさに全世界に知れ渡っています。
そして、日本は原作の生まれ故郷だけに、ただ単に注目を浴びるというだけではなく、厳しいファンの視線にさらされることが予測されているが、その日本で、どこの世界よりもいち早く公開するということに、意気込みが伺えます。
ストーリーは、テレビアニメでおなじみの、「ドラゴンボール Z」のサイヤ人編と、ストーリーの中でも、お気に入りの方は多いはずです。
「悟空vsベジータ」の戦いを中心に描かれています。

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